2015年9月3日

使いづらいSNSと自分ルールの必要性

あまり今まで考えてこなかったけれど
当たり前のことなのですが
SNSが使いづらいなーと個人的に思う

例えば
・安保の話し
・原発の話し
・安部さんや山本太郎や自民党の話し
・オリンピックエンブレムの話し
・韓国の話し

この手の話しは自分のウォールに流れてはくるが
あたりまえだけど
どちらにも寄った意見が流れてくる
自分が発言すればどちら側の人も見るわけで角が立つ

確固たる思想を自分で有していれば問題ない気もするが
想いはあったとしても角が立つことは否めない
かといって戦うほどに強い想いでもないし
論争をしたいわけでもない(したとしても多分折り合わないこともわかっている)

敢えてその手の話題を避けていると
それはそれで、避けていることが見えるので
ならいっそ”SNSを使っていない人”として振るまった方が楽である
なので、別のことでも発言しにくくなり、従って発言できなくなる

そう感じている人は多いのではないだろうか

なのでその手の角が立たないように気をつけていると
・自分の日常の話し(何を食べたか、何を見たか、自分のこども、遊んだ内容)という単純な事実
・楽しかったWEBサイトやゲーム、占い、動画、アイドルなどのエンターテインメントの話し
・自分の会社でやっている取り組みの紹介
・参考になる最新情報(ニュースや技術)
・巷での流行の話し(他人の価値観への驚き)
・趣味(アウトドアや、建築などメディアの記事)の投稿
・チャット利用
・イベントを立てる
・グループ機能としてMLの代わりに使う

そのくらいしかない

時折発生する
・拡散して下さい

はちょっとしたイレギュラー要素

どういった使い方も自由ではあるが
自分なりの方針が必要であるということなのだと思う

自由に生きる、普通に生きるというのは難しい
稲中でもそういっていたが
自由であっても最低限のルールの上に成り立っている
そして、その最低限のルールは、自分自身の中にしか設けられない

しかし、中途半端なルール化は問題を複雑にする

いっそ、広がるのではなく、つきあう友達を限定することがネットの時代の生き方なのかも知れない

2014年9月24日

制作するだけでは成立しない

普段仕事をしていると
プラットフォームを作りたいということと
プロモーションで、デジタルを使いたいというオーダーが混在されていることに気づく
この認識の違いを明確に持ち
早急に世の中の担当者に改めて頂きたいというのが
本記事の趣旨である。

コーポレートサイトを作りたい
キャンペーンサイトを作りたい
ECサイトを作りたい
アプリを作りたい
囲い込みのコミュニティが作りたい

オーダーとしてはそんなオーダーなのだが
これらは必用な知識の質が異なる


2014年6月16日

中国の民度の議論の件

中国の民度が低いという議論が起こることが多い
中国人はタバコはポイ捨てするし、ゴミも散乱、列に並ばず、自分の利益を優先する

しかし、民度が高いとされる日本は、ずっとこうであっただろうか?
日本も少し前まではそんな社会ではなかったのではないだろうか?