中国の民度が低いという議論が起こることが多い
中国人はタバコはポイ捨てするし、ゴミも散乱、列に並ばず、自分の利益を優先する
しかし、民度が高いとされる日本は、ずっとこうであっただろうか?
日本も少し前まではそんな社会ではなかったのではないだろうか?
日本も昔はゴミだらけだった
タバコのポイ捨てもあった
唾液を道に吐く人
列に並ばない規律を守らない人
工場排水を気にしない業者
山中にゴミを捨てていいく業者
干潟の干拓やダムを作り続ける地方自治体
森林に特定の植物を植え続ける植林活動
原発に疑問符を抱かない地域住民
しかし、いつの頃からか泡だらけの河川はなくなり
外来植物や生態系を守ろうとする取り組み
街の清掃活動
情報公開の取り組み
東京の街角にもゴミが散乱していないようになった
(下水まわりのにおいはきついときもあるが)
長い年月を経て、日本は確かに環境が良くなっていると実感できるときがある。
それは全てではないにしろ、地方紙、全国紙、雑誌、TVを問わず、メディアの力も大きいのではないだろうか?
ゴミ捨てを社会問題化させ、河川の改良に取り組むその人たちの活動に目を向ける。
政府や自治体を自由に批判し、役所も人に見られているという意識が根付き始めている。
犯罪者についても議論が起こる。
何かの不正でテレビでさんざんたたかれて自殺してしまった人がいたが、その際にネットで炎上を楽しんでいた人は
少なからず、その自殺を追い込んだ自分たちを自覚し
自殺を引き起こしたメディアの力(ひいてはそれが自分たちが一員であったこと)を自ら体感した。
小保方さんのような問題にも、必ず批判派と擁護派ができる。
中国では、そういった問題が政府批判の対象となり得ることから
解決までをメディアが追うこともなく過ぎ去っていく。
平和な日本では戦争や紛争が遠いことのように感じられるし
真のジャーナリズムが成立していないように見えるが
実はメディアは革命を起こすものではなく
小さな生活の質を上げ、心を育てているのではないだろうか?
結果日本の民度があがったと世界から認められるようになったのではないだろうか?
私はメディアが統合されず
小さなメディアがそれぞれに存在意義を持ち(生態系のように)
機能していく日本であることが今後も民度をあげていくのだと思うし
そしてその差は、いつまでたっても
仮に経済力で中国に追い越されたとしても
文化として成立し、中国には追いつけないものだと思う。
だから中国人がどうやったら日本のように民度の高い国民が育つのか
というネットでの問いかけに対していつもこう答えたい
教育の問題だけではなく(教育もあるのだろうが)
メディアが自由に情報発信し、あらゆるものを批判できる社会になることで
国民1人1人により質の高い常識を根付かせていくこと
それこそが民度の高い日本を作り上げるのではないか。と。
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